⑦友泉亭公園
黒田藩主の別荘『友泉亭』が福岡市の公園に
平成10年(1998年)に福岡市名勝に指定された『友泉亭公園』。ここは江戸時代中期の宝暦4年(1754年)に筑前黒田藩六代藩主継高公の別荘が建てられた場所です。滝が流れ、緑の樹々に囲まれた静謐な庭園は、「世に堪えぬ暑さも知らず湧き出づる泉を友とむすぶ庵は」という和歌にちなみ『友泉亭』と名付けられました。江戸時代には現在の福岡市城南区から中央区にかけて2万8000坪もの広さがあり、藩侯の狩りの際のお休み処や公務の合間のくつろぎの場として使用されていたと言われています。
明治以後、役場や小学校、駐在所として利用されたのち人手に渡りましたが、昭和56年(1981年)、福岡市が池泉廻遊式日本庭園として整備。大人200円、小人100円で9時~17時、入園できます。書院造りの大広間は17.5畳もあり、廻廊から見渡せる池には100匹の鯉が優雅に泳ぐ姿が。
現在、城南区に3000坪ある公園内には江戸時代の建物は残っていませんが、灯籠や鎮守杜鳥居跡、古木や大木が黒田藩52万3000石の栄華をしのぶ面影を残しています。
300年前のお殿様と同じ香りに包まれて
この『友泉亭公園』(城南区友泉亭)および『楽水園』(博多区住吉)、『松風園』(中央区平尾)の指定管理者として、福岡市役所公園部から委託されているのが安藤造園土木株式会社です。統括責任者である田中政治部長は、「日本庭園そのものが、日本文化の衣食住の一つ」と語ります。自宅の庭なら樹木を伸び放題にさせて、いきなりバサッと切っても問題ありませんが、この庭園はそういうわけにいきません。「日本庭園の魅力は変わらぬこと。違う景色を見せることはあってはなりません。樹木は成長するので、それをどう見せるか。一気に刈り込むのではなく少しずつ剪定しています。維持することがお手入れの基本ですね」。
落ち葉を風流と感じる人もいるでしょうが、ここでは毎日清掃し、落ち葉は取り払っています。「紅葉の絨毯がお好きな方のために、一部は紅葉を残しています。しかし基本、落ち葉は撤去し、毎日無い状態を維持します。雨の日も風の日も同じであることを考えながら仕事するのが重要ですね。形を変えてしまうと、当時のポリシーがなくなるから」。
『友泉亭公園』の名物の一つに、キンモクセイの一種ウスギモクセイ(薄黄木犀)があります。樹齢300年の江戸時代の樹が、今でも10月には花を咲かせます。その香りはキンモクセイよりまろやか。「歴代のお殿様がかいだ香りと同じものを、令和の時代になっても、かぐことができるんです。お殿様に想いを馳せることができる。そこが歴史ロマンですね」
それらの植物をいかに生きのびさせるかが難しいのです。いかに樹勢を高めていくか。土壌の改良や栄養補給など、あの手この手で寿命を保つように工夫されています。
基本は”樹木”。その上に“日本文化の継承”
田中部長は造園土木のプロとして、「まず“樹木の維持管理”がベースで、その上に“日本文化の継承”があります。重視しているのは、“和風のしつらい”です」と語ります。
書院造りの部屋、畳、障子、襖。日本文化の衣食住。着物、和食。床の間の掛け軸も季節に合った絵。その季節に咲く花。月見にお団子、冬至にカボチャ。「そういう日本文化を継承していくのも我々の役目だと考えています」。
お客様に季節感を感じていただくため、たとえば2~3月には、ひな人形やさげもんが飾られます。ひな祭りには桜茶を提供し、七夕には笹飾りなど、そういう“しつらい”を大事にされています。
また茶道、華道、能など芸能も重視。通年で着付け教室を開催し、新たに線香作り体験なども企画。「子ども向け将棋教室が目的に友泉亭や松風園に来ても、茶室などの静かな部屋でパチッとやることで、伝統文化を感じることができます。文化庁と連携して子ども茶道教室も開催しました」。
プロジェクション・マッピングで世界へ発信
田中部長の発案で『友泉亭公園』を舞台に、令和5年(2023年)秋の30数日間、プロジェクション・マッピング(以下PM)が実施されました。「日本庭園でPMなんて邪道という感じですよね。反対もありましたが、PMで春夏秋冬を感じてほしかったんです。壁と違って奥行きがバラバラな庭園なので技術的には難しかったと思いますが、30数日間で2万人が入園されました」。
ターゲットは日本の若い人とインバウンド。来園者の7~8割は20~30代のカップルで、10か国の外国人が来られました。18~21時のわずか3時間で約500人が殺到し、TikTokやインスタグラムで配信。それを見て、こんな所があったんだと驚き、さらに来園者はふくらみます。「福岡市民だけど友泉亭は初めて」という方も。
PMが終了する11月10日以降は、本物の紅葉の季節が到来します。9~17時に紅葉目当てで再度、友泉亭を訪れる人もいます。
福岡市が、仏カンヌの富裕層向けプロモーションで友泉亭のPMを披露すると、「きれい」「行きたい」と大好評。言葉がなくても視覚的に訴えるPMの力を借りて、日本文化を知っていただく契機となったことでしょう。
また、日本の良さを広めるための外務省主催の「対日理解促進交流プログラムJENESYS」で、東南アジア・東ティモールから3名の学生が来日。日本を自国にPRするという前提ですが、友泉亭の書院造りの部屋で茶道や折り紙を体験し、大喜び。「日本文化を押しつけるのではなく、テーマは国際交流。相手の文化も知りたいですね。また、同じように日本庭園のPRを自分なりに考えてもらうイベントを福岡市の小学生向けに開催しました。『松風園』を外国人に知ってもらうためにどうするか考え、パソコンでポスター作り。日本の伝統文化と現代的なツールの融合ですね。そういう、きっかけ作りが私のミッションです」と田中部長。
造園だけではなく、誇りを持って働く接客業
公園の指定管理者とは、通常そこまで深く関わらなくてもいいのかもしれません。でも田中部長はなぜ、「樹木がベースで、その上に日本文化の継承」という考えに至ったのでしょう。
「日本庭園がすごいのではなく、日本文化が素晴らしいんです。この福岡市に、それを感じる空間があることを知っていただきたいですね」。
田中部長は維持管理の責任者であり、部下は造園をする庭師や設備、接客、企画と担当が分かれています。「スタッフは1名以外、60代~70代。庭の手入れだけではなく、誇りを持って働いてほしいですね。弊社は福岡市の指定管理者ですが、お客様を管理するわけではなく、接客業だと思っています。接遇が大事なので、求人の際も“接客業”で行います」
地域のつながりを創り出す祭りを企画
田中部長は、もともと大分県日田市のご出身。日田市最北部の高塚山麓にあり、小鹿田焼で知られる、森に囲まれた地域です。お祖父様の代まで農林業が多く、祭りも行っていましたが、お父様の年代の人はサラリーマンとなり、祭りに関わる時間がありません。田中部長ご自身も都市部で大手メーカーに就職。地元の祭りは担い手が減ってしまいました。
その後、商社マンに転身した田中部長は、中国・台湾・インドネシアの人々とつき合ううちに、「自分たちの文化を誇らしく思うなら、もっと大事にしないといけない」という考えるように。友泉亭と同じく同社が指定管理する『楽水園』のある福岡市博多区住吉には飲食店が多く、地域のつながりが薄いそうです。そこで令和6年春、「博多のど真ん中で、地域と一緒に祭りを創り出そう!」と田中部長が企画されたのが、「住吉楽祭」です。
住吉神社・住吉商店街・遠州流茶道福岡支部と楽水園の共催で、令和5年10月にこけら落とししたばかりの能楽堂で能、茶の湯、商店街では住吉グルメが味わえます。また福岡市と連携し、住吉の魅力を伝えてくれる博多のガイドさんたちもボランティアで手伝ってくれます。「祭りが地域の文化を知って継承するきっかけになればいいですね。日本庭園を管理する我々が、日本文化をつないでいく役割を果たせたら嬉しいです」。