博多座禅体験(妙楽寺)

 

臨済宗大徳寺派 妙楽寺 

(お寺で座禅体験:いくつかある座禅体験のひとつ)

博多の都心部で座禅体験ができる!

 

九州の玄関口として国内外の人が行き交うJR博多駅。そこから徒歩10分ほどの博多区御供所町にある妙楽寺は、車が行き交う大通りから少し入った場所にあり、都心部とは思えないほどの静けさが漂います。この禅寺で、座禅体験をさせていただくことができるのです(要予約・2500円)。

動画は、こちらをクリックください。


右手に鐘楼があり、その先には「ういろう伝来の地」という石碑が見えてきます。元王朝の滅亡に際し、室町時代に日本に帰化した陳宗敬という役人が調合していた痰切りや口臭消しの寿楽「透頂香」を調合していたそうです。彼の役職が外郎(ういろう)だったので、それが和菓子の「ういろう」となっていったようです。

福岡の博多と言えば、昔から中国大陸や朝鮮半島と交流があった土地ですから、様々な文化が入って来ているのでしょう。

住職の渡邊亮英さん(下の写真右)。慈悲深い笑顔で迎えてくださいます。


  座禅をさせていただくのは、本堂です。本尊は釈迦如来であり、脇侍として文殊菩薩と普賢菩薩がいらっしゃいます。「臨済宗大徳寺派」であり、本山は京都の大徳寺。一休さんこと一休宗純とも関係がありますね。

 

自分と向き合う時間に癒やされる

まずは、住職のお話からスタート。座り方、手の重ね方、視線の位置、呼吸法など作法をご教示くださいます。体が動いたり、邪念が入ったりしたら木製の警策(けいそく)でバシッと叩かれるのですが、叩いていただきたい時の作法も教えてくださいます。

警策とは「警覚策励」の略で、「警覚」は気を引き締めて注意しつつ目覚めていること、「策励」は奮起するように励ますことです。

座禅は、この座布団の上でおこないます。お尻を乗せるクッションもあるんですね。「座禅は初めて」というかたも多く、苦行という訳ではなさそうです。

同時に住職も座禅を組まれます。


お辞儀をすると、警策を頂くことができます。禅宗における警策は文殊菩薩の手の代わりであり、「警策を頂く」と表現します。叩かれた後は、お互いに合掌。文殊菩薩から警覚策励を頂戴できるなんて、有り難いことですね。

 

座禅は1時間程度ですが、こんなに深く呼吸したのは何年ぶりでしょう。なんだか心が穏やかになったような気がします。

渡邉住職は「忙しい毎日の中では、ご自分と向き合う時間も取れないと思いますが、座禅をしている時だけは集中できます。『癒やされた』『自分と向き合えた』とおっしゃるかたも多いですね。ご自分を大切にする時間にしていただけたら……」とおっしゃいます。

働いている時は座禅をする時間もなかったけど、転職する合い間の、時間的余裕がある時に座禅体験に来られたかたもいらっしゃったそうですよ。

座禅の後は住職自ら、点ててくださったお抹茶を味わいました。

 

 

 鎌倉時代に創建し、博多と共に発展してきた妙楽寺

 

この臨済宗大徳寺派妙楽寺の創建は、14世紀の鎌倉時代末期に遡ります。「元寇」からまだ数十年しかたっていないため、博多ではモンゴル帝国(元朝)や高麗がまた海を渡って攻めて来ることを恐れ、石塁を建造していました。その石塁の上に庵が造られた1316年(正和5年)が、妙楽寺のはじまりと言えます。

1346年(貞和2年)には、北浜の妙楽寺に堂塔伽藍を完備して「石城山(せきじょうさん)妙楽円満禅寺」となりました。石塁から海を臨む寺は、まるで石城のようだったので「石城山」と号したと言われています。

海外との貿易が盛んだった博多北浜において、中国や朝鮮半島からの文物も多く集う妙楽寺では、歴代の住持に中国や朝鮮半島出身の僧も多くいらっしゃいました。

戦国時代末期の1586年(天正14年)、博多のまちも戦乱の舞台となり、妙楽寺も戦火に焼かれてしまいました。関ヶ原の合戦後、17世紀初頭に豊前国から筑前国主として入って来られた黒田長政公が、海沿いの北浜にあった妙楽寺を現在の御供所町に移転させ、仏殿を建立してくださったのです。

今でも妙楽寺には、古い瓦をリユースした土塀がありますが、これも17世紀に造られたと思われます。

江戸時代は黒田藩の藩主や重臣たちの帰依を受け、さらに博多商家の庇護も受けて来た由緒あるお寺なのです。

寺内には、「博多三商傑」の一人である神屋宗湛(かみや・そうたん)や伊藤小左衛門吉次、同道重などのお墓や哀悼碑もあります。

 

海外の珍しい物を輸入していた神屋宗湛は織田信長と知り合い、なんと本能寺の変に巻き込まれます。逃げ出した宗湛は信長に替わって天下人となった豊臣秀吉に気に入られ、豪商として特権を得ます。商人でありつつ、紫野大徳寺古渓和尚から禅法の指導を受け、千利休に茶の湯を学ぶなど多方面に活躍。黒田長政公の御用商人として財を成し、福岡城築城の折りには、金銀や米、渡来品などを献上しています。宗湛のおかげで、戦火で荒れていた博多のまちが復興したと言っても過言ではありません。

妙楽寺は1945年(昭和20年)、第二次世界大戦で福岡が空襲に遭った際に本堂庫裏が全焼してしまいます。現在の本堂は戦後に建てられたものです。

ビル街とは思えない落ち着いた空間で歴史に思いを馳せ、自分と向き合ってみませんか。

 


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